【一大事因縁】

人をまさしく覚りの境地に至らしめる因縁を、〈一大事因縁〉と名づける。 人は、一大事因縁によってのみ覚りの境地に至るからである。 すなわち、人はこの因縁によって智慧を得て解脱し、ブッダとなるのである。

一大事因縁は、具体的には次のように世に出現する。

● この因縁のある人が、一大事が世に現出する様を如実に見るとき一大事因縁は現れる。

● この因縁のある人が、完全に後味のよい行為についてこころに理解し尽くしていて、ことに臨んで自らそのような行為を為そうと決心するとき一大事因縁は現れる。

● この因縁のある人が、自分を含めていかなる誰をも悲しませまいとするとき一大事因縁は現れる。

ところで、一大事因縁は如何なる手段をこうじてもそれを人為的に引き起こすことはできないものである。 一大事因縁はまさに因縁にもとづいて起こることであるゆえに、それを故意に呼び起こすことなど決してできないからである。 それだけでなく、一大事因縁はいつ、誰に、どのような形で起こるのかさえも予測できないものである。

やすらぎを求めるこころある人は、自らの縁によって一大事に臨んで、まさしく一大事因縁に立ち会う人であれ。


[補足説明]
一大事因縁という表現は、法華経(方便品第二)に特有なものであるが、同じ意味のことが言葉(語彙)を変えて他のいろいろな根本経典、大乗経典、そしてそれらの漢訳経典および和訳経典にも記されている。 例えば、釈尊の原始経典では一大事因縁について次のように記している。

● ひとびとは因縁があって善い領域(天)におもむくのである。 ひとびとは因縁があって悪い領域(地獄など)におもむくのである。 ひとびとは因縁があって完き安らぎ(ニルヴァーナ)に入るのである。 このように、これらのことは因縁にもとづいているのである。(ウダーナヴァルガ)

[補足説明(2)]
因縁は、宿命や運命とは違うものである。 これらを混同してはならない。 因縁は、人のこころの本当のあり方によって自分自身に確かに顕れ出るものであり、すべて自らの根本のところに依拠した現象に他ならない。 一方、宿命や運命は自分ならざるものに依拠した現象である。