::
『覚りの境地』掲示板(Eメール設定は不要です!)
::
Back
新規投稿
おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
> 陀羅尼が言葉として発せられる時は確かに解りやすい究極の優しさとして口語で発せられるのは理解出来ます。 > > お聞きしたいのは陀羅尼経の『経典』についてお聞きしています。僧侶達が言う、『訳してはいけない(効力を失う)、訳せられない(単に神仏の名前の羅列だから)、スピードやテンポが大事』と言われている理由についてです。 > 他の経典などは訳されているにも関わらず、 > なぜ陀羅尼経だけがそうなのか考えましたところ、わたしの先のコメントになりました。 > > 神仏(神格の仏)の意味を観じ(自己を振り返り)府に落としてこそ効力を発するのだろうと私は理解しましたが、。 > > 例えて言うと、心理学で言うところの > 『解放への7段階のステップ』と言う見出しを見せられても、見ただけで心が解放される事はなく、自分がキチンと経験(功徳を積む)しなければ > 単に上滑りになり、解放どころか早合点で間違った(心の伴わない)行為をしてしまうおそれがあるから、と言う事かと。
参照先
削除キー
(英数字で8文字以内)
クッキー保存
-
SunBoard
-