【遍歴】

釈尊は、正しい遍歴について次のように述べている。 (引用: 岩波文庫 ブッダのことば(スッタニパータ) 中村元訳 ISBN4−00−333011−0)

「智慧ゆたかに、流れを渡り、彼岸に達し、安全な安らぎを得て、こころ安住した聖者におたずね致します。家から出て諸々の欲望を除いた修行者が、正しく世の中を遍歴するには、どのようにしたらよいのでしょうか。」

師はいわれた、

瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともにすてた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう。

修行者が、迷いの生活を超越し、理法をさとって、人間及び天界の諸々の享楽に対する貪欲を慎しむならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

修行者がかげぐちをやめ、怒りと物惜しみとを捨てて、順逆の念を離れるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

好ましいものも、好ましくないものも、ともに捨てて、何ものにも執著せず、こだわらず、諸々の束縛から離脱しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

かれが、生存を構成する要素のうちに堅固に実体を見出さず、諸々の執著されるものに対する貪欲を慎しみ、こだわることなく、他人に誘かれないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

ことばによっても、こころによっても、行為によっても、逆らうことなく、正しく理法を知って、ニルヴァーナの境地をもとめるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

修行者が、『かれはわれを拝む』と思って高ぶることなく、罵られても心にふくむことなく、他人から食物を与えられたからとて驕ることがないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

修行者が、貪りと迷いの生存(の望み)とを捨てて、(生きものを)切ったり縛ったりすることをやめ、疑惑を超え、(煩悩の)矢を抜いたのであれば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

修行者が、自分に適当なことを知り、世の中で何ものをも害うことなく、如実に理法を知っているのであるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

かれにとっては、いかなる潜在的妄執も存せず、悪の根が根こそぎにされ、ねがうこともなく、求めることがないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

煩悩の汚れはすでに尽き、高慢を断ち、あらゆる貪りの路を超え、みずから制し、安らぎに帰し、こころが安立しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

信念あり、学識ある賢者が、究極の境地に至る定まった道を見、諸々の仲間の間にありながら仲間に盲従せず、貪欲と嫌悪と憤怒とを慎しむならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

清らかな行いによって煩悩にうち克った勝者であり、覆いを除き、諸々の事物を支配し、彼岸に達し、妄執の動きがなくなって、生存を構成する諸要素を滅ぼす認識を立派に完成するならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

過去及び未来のものに関して(妄りなる)はからいを超え、極めて清らかな智慧あり、あらゆる変化的生存の領域から解脱しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

究極の境地を知り、理法をさとり、煩悩の汚れを断ずることを明らかに見て、あらゆる<生存を構成する要素>を滅しつくすが故に、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。


「尊いお方(ブッダ)さま。まことにこれはそのとおりです。このように生活し、みずから制する修行者は、あらゆる束縛を超えているのです。かれは正しく世の中を遍歴するでしょう。」